今野顕彰

野球漬けの学生生活から怠惰な生活へ

― 以前は野球をやられていたそうですね

小学校2年生、8歳から野球を始め、大学には野球で進学しました。大学に入った当初は練習も頑張っていましたが、田舎から上京し初めての一人暮らしということもあり、自分自身への甘えから徐々に生活が緩んでしまいました。
そんな時、私は無免許運転で事故を起こしてしまったんです。当然、大学や部活にも大変な迷惑をかけてしまいました。野球で進学したにも関わらず、その後は練習に参加できないばかりか、グラウンドにすら入れてもらえなくなりました。それからは、ただただグラウンドの周りのごみ拾いをする毎日。
高校3年間はとにかく野球漬けで、ひたすら真っすぐ野球に向き合っていました。そんな一生懸命頑張っている自分が好きだったのに、自分の甘さが全てを壊してしまいました。当時の私は野球が全て。野球ができない私は何をしていいのかわからなくなってしまい、どんどん生活が荒れ、大学にすら行かない日々が続きました。やっとグラウンドに入れるようになっても練習をサボり、隠れてタバコを吸って酒を飲むといった怠惰な生活が続きました。まさに、私の人生の黒歴史ですね。

仲間の格闘技の試合が立ち直るきっかけに

― どこから生活が変わったのですか?

私は一生懸命にやっている自分自身が好きでした。
だからこそ、当時、怠惰な生活を続けている自分が本当に嫌いでした。「どうやって、この状況から抜け出せばいいのか?」を自問自答する毎日。当時一緒にいた仲間からも「野球部の練習に行ってもやる気がない。お酒ばかりを飲んで大学にも行かない。であれば、いっそのこと野球を辞めて好きなことすれば」と言われていました。まさにその通りなのですが、その当時は、ほかに好きなことを探すという発想すらありませんでした。なにせ8歳から野球をやるのが当たり前だったので、ほかの道を考えたことさえなかったのです。そんな自己嫌悪に抜け出すきっかけが見つけられず日々時間だけが過ぎていきました。
生活が一変するきっかけとなったのは、中学校時代の仲間がプロの総合格闘家になったからと誘われて、試合を観に行ったことでした。初めて後楽園ホールへ行き、リングで闘っている仲間の姿を見て衝撃が走りました。「自分も絶対にあのリングで闘いたい!」と思い、それまでダラダラと続けていた野球部も退部しました。もうすぐ大学4年生になる時期でした。キックボクシングを始めるようになってからは生活が一変しました。キックボクシングと真摯に向き合い、日々練習に明け暮れました。

がむしゃらにやることで
プロへの道を切り開く

― そこからプロになるまでの経緯を教えてください。

当時、自分の通っていたジムにはトレーナーが常駐しておらず、サンドバックがポツンとあるだけでした。週一度、経験者の方が教えに来てくれるだけで、あとは見様見真似で練習をしていました。
そんな環境でひたすら練習する日々が3ヶ月ほど続いた頃、たまに様子を見に来てくれていた支部の会長から、「アマチュアの試合に出てみるか?」と誘われました。始めたばかりでしたが、そう言われたら出てみたいと思い挑戦を決意。初めての試合では、何とか勝つことができましたが、テクニックよりも、それまで野球で培ったフィジカル、体力差で勝ったという感じでした。その後、数試合のアマチュア戦を経て、一年後にプロデビューしました。
仲間の試合を見て、「自分も絶対あそこに立ちたい!!」と思ったことで人生が変わりました。後楽園ホールのリングで多くの声援とスポットライトを浴びて闘っている姿を想像し、がむしゃらにサンドバッグを叩き続けました。そして気づいたときには、一生懸命に頑張ることができる、好きな自分に戻っていました。

人が遊んでいる時間も
練習をするのが当たり前

― 入社式の5日後にプロデビュー戦?

大学は何とか留年せずに卒業することができました。4年生のときは猛勉強しましたけどね。(笑)
キックボクシングのプロとはいえ、簡単にお金を稼げるわけではないのはわかっていました。親に大変な思いをさせてまで大学まで入れてもらったのだから、きちんと就職しないとという思いもあり、キックボクシングのプロデビューを目指すのと並行して就職活動も行いました。
大学卒業後、4月1日に新社会人として入社式を迎え、その5日後の4月6日にはプロデビュー戦と、会社員とプロキックボクサーのキャリアを同時にスタートさせました。
「仕事と練習の両立は大変じゃないの?」とよく聞かれますが、自分にとっては野球をやっていたときから文武両道の精神を大事にしており、その延長という感じで、大変と感じることはありません。子どものころは、学校が終わったら部活で練習をするのが当たり前で、学校が仕事に代わっただけです。なので、会社員とプロキックボクサーという二束のわらじを履くことへの不安は特にありませんでした。ほかの人は仕事の後にお酒を飲んだり、食事に行ったりしますが、僕はその時間に練習をしているだけです。そのルーティーンだけは、昔から変わっていません。働くのも練習するのも、どちらも当たり前にやるものとして考えています。
キックボクシングを始めたばかりのころは、大学の仲間たちと毎日飲んでいた時期だったので、「ノリが悪い。」「どうせキックボクシングも辞めるのに。」とまで言われました。彼らは、私が怠惰な生活を送っていたのを知っていたので、そう言われてしまいましたが、本気で取り組んでいることが伝わってからは、多くの仲間が私を応援してくれるようになりました。タイトルマッチのときは300人もの仲間が後楽園ホールに足を運んでくれ、その時は“多くの声援とスポットライトを浴びて闘う”という自分自身の夢を叶えた瞬間でもありました。また、それと同時に一生懸命にやっている姿は多くの人に感動を与えられるということを改めて感じましたね。

キックボクシングについて語れる
自分になりたい

― チャンピオンを目指す理由は?

私はキックボクシングに出会い人生が変わりました。
だからこそ、キックボクシングの魅力を語れるようになりたいと思っていますし、また、キックボクシングを通して“生きるヒント”のようなメッセージを伝えられるようになりたいと考え続けています。
自分の想いを伝えたり、何かを語ったりするためには、強くなって、本物になりたい。プロキックボクサーにとって、それを体現するのは唯一の方法、それは勝利を重ねチャンピオンを目指すことだと思っています。
私は、本気度が伝われば人は絶対に振り向いてくれると信じています。というのも、キックボクシングを始めたばかりのころは、トレーナーもいない状況の中で毎日ひたすら見様見真似でサンドバックを叩き続けていましたが、そのような日々が続いたある日から、同じジムの先輩方から「良いパンチしているね。」「もっとガードを意識したほうがいいよ。」などと積極的にアドバイスをもらえるようになりました。真剣に取り組む姿というのは、人を感動させ、人の心を動かすということなのでしょう。

職場環境に恵まれランキングもアップ

― 職場の上司や仲間は応援してくれましたか?

大学卒業後に入社した会社は、企業や大学の研究施設等で使用される実験用試薬や抗体などを販売する会社でした。私の仕事は営業。主な営業先は企業在籍の研究者や大学の教授、大学院生などでした。
試合のときは、勤めていた会社の上司だけではなく、営業先の大学教授や大学院生までもが応援に来てくれました。非常にありがたいことに、新入社員でありながら、“デビューしたばかり”のプロキックボクサーという肩書きを持つ異色の営業担当者として可愛がってもらってましたね。ただ、その会社は練習環境を充実させるために一年半で辞めることになりました。
当時、キャリアを重ねていくにつれ、トレ-ナ-不在の環境下で自己流で練習をしていくことに限界を感じており、また、本気でチャンピオンを目指したいという強い思いもあって、本部ジムに通うことを決意したからです。そこにはキックボクシングの本場タイから来日しているトレーナーも常駐していましたし、当時の日本チャンピオンも在籍していました。さらに上を目指すために、そのような環境で練習を重ねたいと思っていましたが、そこに通うためには今の会社ではどうしても練習時間に間に合わず、悩みに悩んだあげく、転職という選択をしました。
次の仕事先には就労が時間単位できっちりと決まっている工場勤務を選びました。朝から16時まで働き、17時から21時まで練習をするという生活をほぼ毎日続けました。また、その時期には、試合経験を積むため海外遠征も重ねました。その甲斐もあって、日本ランキングを2位まで上げることができました。また、孫請けとして、ジム関係者が経営する会社で職人として働いていたということもあり、働き方を融通してもらうなど、職場の皆さんには、いろいろとバックアップをしてもらっていました。

妻との出会い、そして仕事の転機も訪れる

― 奥様ともキックボクシングを通してお知り合いになったそうですね

妻は別の団体に所属していて、私が所属していた団体との交流試合がきっかけで知り合いました。
当時、対戦相手のセコンドとしてついている彼女を見て声をかけましたが、最初はまったく相手にしてもらえませんでした。そんな状態が一年半近く続いたと思います。そのとき彼女は諸事情で選手活動を一年ほど休んでいた時期でもあったのですが、復帰戦をやると聞き、応援に行きました。その際、チャンピオンベルトと同じ色の花を贈ったのです。特別な日にしてほしかったですし、「頑張ってね」という気持ちも込めて。それがきっかけで結婚も視野に入れて付き合い始めたのですが、社会状況が変わり、勤めていた工場の仕事が減ってしまい、もう一度転職をすることになりました。

仕事もトップを目指して一生懸命に

― 転職先はすぐに決まりましたか?

転職活動の際、現役のプロキックボクサーであることを伝えると、どこの会社にもいい顔をされなかったので、「キックボクシングを辞めた元日本ランカーです」と言って面接を受けていました。
医療系事務用品の商社への転職が決まり、結婚するために稼がなくてはと思い、これまで以上に一生懸命働きました。仕事は営業、新卒一年目と同じですね。病院やクリニックなどにカルテや薬袋、トナーなどの事務用品や印刷物などを営業販売するのが主な仕事でした。私は仕事も手を抜きたくない性格ですので、即戦力として入社し、営業成績は日本でトップランカー。営業レースがあると必ず賞を獲得していました。モチベーションはキックボクシングでチャンピオンを目指すのと同じですね。
試合後に怪我をしていると、お客さんから「その傷はどうしたの?」と聞かれるので、「サッカーのヘディングで頭をぶつけてしまって」なんて言ってごまかしたりしたのも、いい思い出ですね。

キックボクシングに関連する事業を立ち上げ奮闘の日々

― 現在の仕事についても教えてください

今は、現役プロキックボクサーとしてリングに上がるだけではなく、スポーツインストラクターとしても活動しています。
企業などの団体や個人を対象にキックボクシングを応用した独自プログラムによるエクササイズ指導を行ったり、各種スポーツイベントの企画運営など、キックボクシングに関連した事業を幅広く展開しています。
実は私はこう見えて意外と保守的な性格で、まさか自分自身が起業するなんて考えてもいなかったというのが本音です。たまたま、とあるコミュニティーで活動していた際、そこで出会った方々に自身がプロキックボクサーであることを伝えると、「やってみたい!」「ダイエットに良さそう!」「チャレンジしたいので教えて欲しい!」と予想以上の反響で、実際に教える機会が増えていきました。
もともとキックボクシングを通して“生きるヒント”のようなメッセージを伝えられるようになりたいという想いをずっと抱いていたこともあり、思い切って起業しました。
一般的にアスリートという言葉は、競技をしているときの代名詞のように捉えられていますが、私は生き方そのものではないかと考えています。本当にアスリートと呼べるのは、情熱を持って自分の好きなことにトコトン打ち込める人間。私はそう思うのです。正直な話、私がキックボクシングから得られる収入はあまり高くはありません。でも、損得よりも情熱を持った生き方を選びたい。そう思って今も毎日走り続けています。

アスリートとして輝き続けられるのは
家族のおかげ

― ご家族は応援をしてくれていますか?

会社員を辞めて起業しようと思ったときはもちろん妻に相談をしましたが、妻は“自分の好きなことをやっていて欲しい”と起業を後押ししてくれました。
今は、会社員時代と比べたら収入も少ないですが、私の顔が毎日生き生きしているように見えるらしく、生活は大変だけど今のほうが楽しいと言ってくれます。自分の好きなことをやっている私のことが好きだと言ってくれるので、私も妻が好きなことを続けられるような環境を作っていきたいと思っていますし、これからも頑張っていくつもりです。
今後、競技を終えるときがきてもアスリートとして生きることができると私は思っています。競技を終えても、情熱まで失ってしまってしまうわけではありません。競技引退後に違う職業に就いたとしても、それは競技から転職をしただけ。自分が興味を持てることに身を置き、自分自身のことを好きでいられれば、アスリートはアスリートとして生きられます。
情熱を持って好きなことに取り組んでいるアスリートのエネルギーはとても大きいと確信しています。私は、そうした力を持って、より良い社会を目指し地域社会へ貢献し続けたいと考えています。

【商品Pick up】「UTA SUPLI」と「Neutral Water」を飲みはじめて―

キックボクシングを続けるうえで、毎日のコンディショニングは大変重要です。格闘技スポーツは、疲労が溜まった状態でトレーニングを重ねると大きな怪我に繋がります。だからこそ、私は日々のトレーニング同様に疲労のセルフマネジメントを大事にしています。
UTA SUPLIを飲みはじめてからは、毎朝の疲労感が劇的に軽減し、より集中してトレーニングを重ねられるようになりました。また、Neutral Waterを継続摂取しているからかもしれませんが、風邪などで体調を崩すことが極めて少なくなりました。プロキックボクサーとして活動していくうえでUTA SUPLIとNeutral Waterは今やマストアイテムですね。

今野顕彰

私のタイムスケジュール

スケジュール

私の記録

2020年現在

ジャパンキックボクシング協会ミドル級王者

≪戦績≫
国内40戦21勝15負4分14KO
海外含む 52戦26勝21負5分17KO
アマチュア 4戦2勝1負1分