吉良裕代

キャリア30年のトライアスリート

― トライアスロンを始めて30年になるそうですね。

そうですね。長良川国際トライアスロン大会* でデビューしてから30年経ちましたね。この30年間、国内大会を中心に数え切れない程のレースを走りました。多くのトライアスリートが憧れる宮古島トライアスロン大会も3回走っています。
ただ「トライアスロンを30年やってます!」と言っても、実際は結婚や子育てなど生活環境の変化で競技から離れた時期もあります。でも、その間もレース審判に挑戦したり、トライアスロンをやっている方のコミュニティーに参加するなどして無理のない範囲でトライアスロンに関わってきました。今では子供たちも大きくなり、子育ても一段落したので、改めて競技としてのトライアスロンを楽しんでいます。ここ数年はエイジポイントランカーとして日本選手権への出場、そしてその先の世界選手権への出場を目標にしています。
* 1986年から岐阜県海津市にて開催(オリンピックディスタンス)

体力作りのために始めた縄跳びが原点

― 幼少の頃から運動は得意だったのですか?

いえ、全くです(笑)。子供の頃から運動がとにかく苦手でした。校内マラソン大会は最下位争いの常連でしたし、水泳は苦手というよりも“泳げない”という表現が正しい感じでしたね。運動が苦手だからどんどん運動嫌いになっていく、そんな幼少期でした。運動は苦行でしかないと思っていた当時の私からすれば、“トライアロンをやってる”なんて全く信じられないですね。ちょっと前に同窓会があったのですが、当時のクラスメイトからは天と地がひっくり返ったぐらい驚かれましたね。でも、それも当然かな?!って思います。何せ私自身が自分の変化に一番驚いているんですから(笑)。

― 社会人一年目の入院をきっかけに運動を始めたと伺いました。

幼少期、学生時代と身体を動かすことと疎遠の生活を送っていた私は、社会人一年目に体調を崩して入院してしまったんです。原因不明の手足の痺れやひどい倦怠感などで日常生活が困難になり、入社早々に長期入院することに。体力不足に加え、慣れない仕事のストレスがあったんだと思います。退院後、自宅療養を経て職場復帰した時には私の席は元の場所にはなく、別の部署に異動させられていました。そんな中、挫けそうな心を抑えて始めたのが体力作りのための“縄跳び”でした。最初は100回すら飛べませんでしたが一生懸命続けました。その時のことは今でも鮮明に覚えてます。

トライアスロンを巡る数奇な運命

― トライアスロン挑戦のきっかけは?

縄跳びをやり始めて体力が充実してくるにつれて気持ちが前向きになり、家の近所を軽くジョギングをしたり、町営プールで泳いだりと少しずつ身体を動かすことが好きになっていきました。また、同時に「やれば出来るじゃないか!」と、何かにチャレンジする素晴らしさや楽しさを知り、縄跳びを始めて数年後にはフルマラソンにも挑戦しました。体力がなく身体が弱い数年前の私には想像すら出来ないようなチャレンジでしたが、見事完走することができ、「やれば出来るんだ!」という感覚は、大きな確信へと変わりました。そんな時、たまたま目を通したトライアスロン専門誌* の中に「一緒にトライアスロンに挑戦しませんか?」というスポーツジムの募集広告を見つけたんです。しかも、そのジムは家の近所にあったんです。私の実家は長良川国際トライアスロン大会の会場と近かったこともあってトライアスロンへの興味は少なからずありました。また、テレビや新聞で報道されるトライアスリートに憧れを抱いたこともあり、その募集広告記事を見つけた私は早速、そのスポーツジムへ見学に行き、気づいたら入会、そしてトライアスロンデビューを目指していましたね。
* 「トライアスロンジャパン」1984年創刊のトライアスリートのバイブル的雑誌。2009年に廃刊

― デビュー戦の様子は覚えていますか?

スタート前の派手なセレモニー、そしてレッドカーペットが敷かれたゴールまでの花道。テレビや新聞で見た景色の中に自分が選手として立っていることを誇りに思うと同時に、これまで味わったことのない緊張感に包まれたのを覚えています。プールで泳ぐのとは全く違う長良川でのオープンウォータースイム、自転車に詳しい友人に付き添ってもらって何とか購入したバイクで走ったバイクコース、日差しがガンガン照りつける炎天下でのラン。レースの様子も全て鮮明に覚えていますね。
ただ、そのデビュー戦には“ほろ苦い“思い出もあります。レース翌日に県内の地方紙に完走者一覧が掲載されるのですが、私の名前だけが無かったんです。「なぜだろう?」と思って大会事務局に問い合わせたところ、ゴールは認められましたが、当時のローカルルールにより公式記録は制限時間から2分遅れのDNF* となっていました。この時は本当にショックで一週間ぐらい誰とも口をききたくないぐらい落ち込みましたね。でも、その事件があったからこそ翌年の再チャレンジに繋がり、そして今もトライアスロンをやっています。デビュー戦の“ほろ苦い”事件がなければ、一度のレースで十分とやめていたと思いますね。もちろん、翌年の新聞の完走者一覧には、しっかりと私の名前がありましたよ。
* Did Not Finish(スポーツ競技の途中棄権、リタイアの意味)

トライアスロンとの程よい距離感

― 長くトライアスロンを続けてこられた秘訣を教えて下さい。

トライアスロンと程よい距離感を保ってきたことですかね。子供たちが小さかった時は競技生活をお休みしていましたし、そもそもトライアスロンはあくまで趣味という当たり前の感覚を大切にしています。トレーニングも子供が学校に行っている間に行うなど、隙間時間をうまく活用してきましたね。人にはそれぞれのライフステージがあると思うのですが、そのライフステージに合わせて無理のない範囲で続けることが大事だと思います。

― 家事、子育てに加えて仕事も再開されたそうですね。

結婚後は専業主婦になったこともあり、私自身の収入が無い状態で趣味のトライアスロンに家計から何万円も出費することに躊躇いがありました。ですので、子供たちが幼稚園や小学校へ行くようになると仕事を再開し、トライアスロンにかかる費用は自分の収入で賄いました。そこには“仕事あっての趣味”という考えが根底にありました。仕事を再開することで、家庭とトライアスロンとのバランスを保ち易くなったという側面もありますね。

運動嫌いだった私がインストラクターに?!

― いまはスポーツインストラクターをされているそうですね。

そうなんです。インストラクターとしてはかなり遅咲きの40歳直前でのデビューでしたが、かれこれ15年近くやっています。もともとパートで近所のスポーツクラブでプール監視員をしていたのですが、そこでアクアビクスのインストラクターにチャレンジしたのがきっかけです。アクアビクスのインストラクターをやってみたら、すごく楽しくて、その流れでエアロビクスインストラクターの資格も取りました。今はフリーのインストラクターとして独立し、スポーツクラブでレッスンを行ったり、最近では自治体から市民講座の一環としてレッスンの依頼を受けることも増えてきました。お子さんからご高齢の方まで幅広い方々に身体を動かすことの楽しさを伝えています。

― レッスンで心がけていることは?

とにかく気持ちよく汗をかき、楽しんでもらうことですね。小さなお子さんを対象にしたレッスンでは、身体を動かすことが苦手でも楽しめるように遊びの延長のようなリズムトレーニングやコーディネーショントレーニング* を中心にしていますし、ご高齢の方を対象にしたレッスンでは、参加者の皆さんのやる気を引き出すような雰囲気を作るようにしています。私自身ももともと運動が好きな方ではなかったのですが、いざ身体を動かしてみると、どんどん楽しくなっていく感覚がありました。その感覚を皆さんにも実感してもらい、そして運動を通して皆さんを元気にしたいと思っています。
* 感覚の働きと身体の動作を効率よく調和させ、状況にすばやく反応し、もっとも適切に体を動かすための訓練。

挑戦することで開いた新しい扉

― 新しいことに挑戦する勇気の根源は?

私も何か新しいことに挑戦する際には躊躇することもあります。40歳目前でエアロビクスインストラクターの資格取得に挑戦した時ももちろん躊躇しましたよ。でも、新しいことに挑戦することって自分自身の可能性に気づけるんですよね。身体が弱く運動が苦手だった私がトライアスリート、そしてスポ-ツインストラクターとなり人生が180度変わったように、勇気を出して飛び込めば、必ず新しい世界が開けると私は確信しています。そのことが私の挑戦する勇気の根源ですね。

― いつもポジティブな吉良さんですが、その原動力は?

そうですね。一つは目標を持つことだと思います。目標を持つことで生活にメリハリがつきますし、何よりも毎日が楽しくなります。トライアスロンの話になりますが、ここ数年は日本エイジグループトライアスロン選手権への出場を目標に日々トレーニングを続けています。しっかりと目標を見据えてトライアスロンと向き合うことで新しい発見があり、とにかく刺激的な毎日を過ごしています。もう一つは、トライアスロン仲間の存在ですね。私は愛知県の“あすたまトライアスロンスクール* ”のメンバーなのですが、世代を超えて多くの方と楽しく切磋琢磨できるポジティブな環境に身を置くことで、自分自身もどんどんポジティブ思考になっていく感じがありますね。同じ目標を持つチームメイトの存在は間違いなく私の原動力になっていますね。
* 日本選手権出場通算18回の竹内鉄平さんが主宰する愛知県を拠点としたトライアスロンスクール

【商品Pick up】UTA SUPLI を飲みはじめて―

インストラクターという仕事柄、普段の疲労マネジメントはとても重要です。こちらの熱量って、会員さんにも伝わるんですよね。だから、自分のトレーニングや日々の疲れを翌日に持ち越さないように気をつけているのですが、UTA SUPLIを摂取するようになってからはとにかく朝が楽になりましたね。寝る前に飲んでいるのですが、ぐっすり眠れて、翌朝の疲れの抜け具合が摂取前とは全然違うので驚きました。身体が軽いので、朝イチのレッスンも元気にハイテンションでやれています。それと、天然成分100%のサプリメントだから安心して摂取できることも嬉しいですね。もっと早く出会いたかったです(笑)。

吉良裕代

私のタイムスケジュール

スケジュール

私の記録

2021年 アジアトライアスロン選手権廿日市エイジグループ 年代別優勝
2020年 大阪城トライアスロン大会 年代別2位
2019年 蒲郡トライアスロン大会 年代別3位
伊勢志摩・里海トライアスロン 年代別2位
大阪城トライアスロン大会 年代別3位
2018年 木曾三川トライアスロン 年代別優勝
伊勢志摩・里海トライアスロン 年代別優勝
トライアスロン珠洲大会Aタイプ 年代別優勝