Life is a one-time things. 兄が生きたかったはずの毎日を一生懸命に生きる 池畑 健太

誠実、感謝、貢献が私の人生理念

― 横浜市最大のリハビリテーション施設を運営しているそうですね

神奈川県横浜市で、障害を持った子供から高齢者までが利用できるリハビリテーション施設を運営しています。今では横浜市内最大の施設となり、「子供から高齢者までが障害の有無に関わらず安心して過ごせる社会を作る」というビジョンのもと、計4つの事業を行っています。

― 理学療法士を目指すことになったきっかけは?

2歳年上の兄が、バイク事故によりリハビリが必要になったのがきっかけでした。私が高校1年生の冬、兄がバイクで事故に遭い救急車で運ばれたという連絡があったんです。病院に行くと兄は意識不明の重体で、医師からは今夜が勝負、覚悟もしておいてくださいと言われる状況でした。なんとか一命は取り留めましたが、意識不明は3ヶ月以上続き、意識が戻ったときには、兄は自分で歩くことも、起き上がることも、座ることもできなくなっていました。それから2年に及ぶ長期リハビリを経て、兄はなんとか歩いて帰ってくることができました。しかし、歩いたり喋ったりするようにはなったものの、脳に障害が残ってしまい、両親のサポートなしでは生活できない状況になってしまったんです。その頃私は高校3年生で進路を決める時期でした。リハビリの大切さや重要性を目の当たりにして、兄のように困っている方々を手助けしたいという思いから、医療専門学校へ進学し、理学療法士の国家資格を取得。卒業後は横浜市内の総合病院に就職しました。

― 独立してご自身でリハビリ施設を開業することになったきっかけは?

病院勤務の理学療法士としての仕事に慣れるにつれ、どんどん業務がルーティン化していきました。入院した人にリハビリを行い、時間が過ぎれば退院をしていくという毎日。休みもほどほどに取れて、給料もそこそこもらえて、プライベートでは結婚して子供も産まれて、特に不満がない生活を送っていましたが、どこか満たされない感覚がありました。そんな思いを感じていたとき、兄が29歳で急死しました。実家の家族はそれまでの10年間、兄のことを面倒見てくれていましたが、正直に言うと、私は避けていました。元気だった頃の兄の姿が忘れられず、障害を持つ兄という現実を受け入れられなかったんです。亡くなったとき、心のどこかでほっとした自分がいました。これで両親も兄の介護から解放される、私も将来兄の面倒を見なくて済むと。もちろん悲しかったけれど、そういう安堵の気持ちがあったのも事実で、なんとも言えない感情でした。けれど泣き崩れる両親の姿や葬儀に参列してくれるたくさんの方々を見て、そんな自分がとても恥ずかしく、ものすごく後悔しました。なぜ兄と関わることを避けてきたのか、なぜ受け入れられなかったのか。兄が事故に遭ったのは18歳で、本来なら兄にもその先にもっと楽しい人生があったはずでした。そのとき『人生は1度きり」だということを改めて実感したんです。命には限りがあるのだから、兄が生きたかったはずの毎日を一生懸命生きよう、兄の分まで両親に親孝行しようと決めました。そして、兄のように困っている方々を助けたいというリハビリの原点に戻って、自分のやりたいことをやろうと決心し、独立したんです。

障害の有無で命の価値は変わらない。
サポートの輪で貢献する人生を歩む

― 池畑さんの施設には日本全国、そして海外からも注目される介護サービスがあるそうですね

吸引や経管栄養、呼吸器管理など医療的ケアが必要な重症心身障害児を対象としたデイサービスを運営しています。高齢者の施設や知的障害者向けのデイサービス施設は数多く存在していますが、身体的な障害を持った子供を対象としたデイサービス施設は極端に少ないのが現状です。看護師や理学療法士、保育士などのそれぞれの専門職がいないと施設を運営することができない、しかも医療的な処置が必要ということは、それだけリスクが高く、参入障壁が高いんですね。医療行為は医療者か家族しかできないので、子供向けのそのような施設がないということは、重症心身障害児を持つ家庭では、その子のケアはすべて親御さんがやらなければなりません。乳飲み子がずっといるような状態が10年、20年も続き、家族が疲弊しているというのが社会問題になっています。そういった事態を解決するために、私たちの施設では医療的ケアが必要な子供に特化した訪問介護や一時預かりも行っています。子供から高齢者まで通える施設は全国的に珍しく、雑誌や新聞に取り上げられたり、海外からも私たちの施設へ視察に訪れるようになりました。

― 子供に特化したデイサービスを展開するきかっけは?

もともとは高齢者向けのリハビリ施設を運営していました。ある日そこに親子が訪ねてきて、「この子たちのリハビリをしてもらえませんか」とお母さんから声を掛けられたんです。一人は車椅子に乗り、一人はその車椅子にやっと捕まっている兄弟を連れていました。子供が対象の施設ではないのでお断りしたのですが、話を聞いてみたら、子供がリハビリする施設がなくて困っていると言うんです。当時私たちが運営している施設の施設基準的に受け入れ不可だったので、施設の営業が終わった後に“ボランティア”という形で良ければやりますということで始めました。その後お母さんから現状を聞いていくうちに、自分の知識を今必要としている同じような境遇の子供たち、そしてその家族に対して使えるんじゃないかと思ったんです。そこから、運営していた高齢者向けのリハビリ施設のレイアウトを変更し、空いたスペースで子供に特化したリハビリをやろうと決めて、スタートさせました。

― 実際に始めてみて、どうですか?

実際に蓋を開けてみたら、必要としている人がいっぱいいるのに、とにかく施設が足りていないことを痛感しました。高齢者は施設に預けられるけど、子供は預けられない。高齢者はいつか終わりがくるけど、子供は終わらない。親御さんの葛藤や背景がたくさん見えるようになってきて、預ける施設がないというのは社会的に問題だと思うようになりましたね。兄も生きていたら今でも両親が見ていたでしょうし、親がいなくなれば、誰かが面倒見なきゃいけなかった。障害を持って生まれてきたら、私たちの人生っていろいろ制限されると思うんです。当たり前のことが、当たり前にできないんです。自分はそういう本当に困っている方々の手助けがしたいという気持ちがさらに強くなりました。

― 利用者=子供のケアだけでなく、そのご家族の手助けをすることも重要なんですね

利用者さんである子供のケアはもちろんなんですけど、やっぱり親御さんやご家族の手助けをしてあげたいというのは大きいです。親御さんに代わって私たちが見ることで、それまでなかった時間ができます。休息の時間も必要だし、もし兄妹がいるならその子に時間を使うこともできる。障害のある子がいるとどうしてもその子が中心になるので、兄妹にかまってあげられる時間が少ないんです。親御さんは自分の子供なので一生懸命育てますけど、疲弊してくると精神的に追い詰められて、悪い方向にばかり考えてしまうこともあります。障害があってもなくても命の価値は同じなのに、障害のない子供を羨んだり、障害のない子供のほうが可愛く思えることもある。私たちが預かることによってそのストレスが少しでも減って、生まれてきた子が価値ある存在で居続けてほしいというのが根底にある想いです。そのためにも、全国的にもっともっと施設が増えてほしいと思っています。だから、今では自社での出店だけでなく、私の思いに共感してくれる方の新規施設立ち上げに、コンサルという形で積極的に協力しています。理想はインフラです。電気水道と同じように、どこの地域に生まれても、もし障害を持ったとしても、住み慣れた地域で住み続けられることを目指しています。

スポーツエリート、
トライスロンで初めて辛酸を舐める

― 高校時代は甲子園を目指し、神奈川県でベスト4までいかれたそうですね

野球で中学時代から全国大会に出場したり、日本代表として海外遠征経験もあったので、横浜商業高校(通称Y校)にスポーツ推薦で入学しました。他の強豪校からも声がかかったんですが、強豪校は練習が辛いので、なるべく努力をしないでレギュラーになれそうなところ、そして男女共学を希望していたのでY校にしたんです。もちろん、チーム一丸となり甲子園を目指していたんですけど、私自身は練習がつらくてつらくて(笑)。結局神奈川県大会ベスト4で終わりましたね。

― 高校時代は練習嫌いだったと伺いました

私は野球に関して、大した努力もせずセンスだけでやってきたところがあって。どうしても甲子園に行きたいとか、そういう気持ちが人より若干薄かったんです。上下関係がかなり厳しくて、1日も早く辞めたかったのが本音です。とにかく遊びたかったので、引退したときは本当に嬉しかったですね(笑)。ただチームメイトに恵まれていたおかげで、神奈川県ベスト4まで行くことができました。その年、同級生で2人プロ野球選手になったんですけど、そのうち1人は某在京の人気球団の元ピッチャーで現役時代も活躍していましたね。チームメイトに恵まれたというのも運が良かったです。

― 体調管理目的のランニングを経て、トライアスロンを始められたそうですね

経営者にとって体調管理も仕事のうちと言われますよね。独立してからは、“経営者は見た目も大事”と体型を気にするようになって、このままじゃいけないと思い走り始めました。走り出したのが約8年前の2015年頃。当時私は太っていたので、本当にちょっとずつ。2キロ走るのもやっとだったところから始め、そして徐々に走れる距離が5キロ、10キロと伸び、それを経営者仲間に言ったら、マラソン大会に出ようと誘われたんです。フルマラソンは10キロ走れたらなんとかなるからと言われ、その場で2018年の霞が浦マラソンに半ば強引にエントリーさせられました(笑)。でも、いざ走ってみたらマラソンデビュー戦のタイムは3時間40分。やればできるんだと思ったら、やる気に火がついたんです。次はサブ3.5。そして、その先のサブ3を必ず達成すると。しかし、次のマラソン大会に向けて練習を頑張っている最中、世の中がコロナ禍になり目標としていた大会がすべて中止になってしまいました。そんなとき経営者の先輩から、石垣島で開催されるトライアスロン大会に一緒に出てみないかと誘われました。2022年の時ですね。トライアスロンを始めたのは、そこからです。その石垣島のレースまで4、5ヶ月。当時ほとんど泳げない私が挑戦することを決めたのは、自分のモットーである「人生を楽しむ」という気持ちが強く働いたからだと思います。

― 初めてのバイク練習で“負ける”感覚を味わったそうですね

AWの練習に参加したとき、自転車だから普通にいけるだろうと高を括っていたんです。でも、実際にやってみたら思い通りにはいきませんでした。自分より10歳以上も年の離れた女性に抜かされて、しかもまったく追いつけず、差は開く一方。正直、かなり悔しい思いをしましたね。昔からスポーツにおいては野球を筆頭にセンスだけでやれてきて、マラソンも走れば着々とタイムが伸び、フルマラソンでは3時間5分で走れる実力があるのに、なんでそんな自分が負けるんだと不思議でしょうがなかったです。その後、先輩から「絶対に強い人が集まるチームに入った方がいい、その方が確実に強くなる」と言われAWに入会してから、みるみる強くなっていく実感があり、それがまた面白かったですね。自分がどの環境に身を置くかで世界が変わる、ビジネスの世界も同じですよね。
*Athlete Works(山本淳一さんが主宰のトライアスロンチーム)

トライアスロンで実感する
自身の成長と人生の豊かさ

― トライアスロンを始めて3年目。既に日本選手権には2度出場されているそうですね

私は負けず嫌いなので、単純に勝ちたいんですよね。今まではちょっとやればうまくいくことが多かったんですけど、トライアスロンの場合はそうはいかない。うまくいかないことの方が多いんですよ。でもむしろそれが醍醐味だと感じています。3種目なので、自分の強みを活かしつつ、弱いところにも本気で向き合わなきゃいけない。でも強みをもっと伸ばす努力も必要で、そうしないと上のレベルでは勝てないんですよね。自分自身の成長に直結するので、思考込みで面白い。レースに出るのも、そのための練習も本当に楽しいです。

― トライアスロンの魅力は?

トライアスロンを始めて人生がより豊かになりました。トライアスロンはいろんな意味で余裕がないとできないので、そういう人たちの中でトレーニングができること、人脈が広がるのも魅力だと思います。普段出会うことのない人たちと練習したり、大会に出たり、大人の部活みたいな楽しさがありますよね。楽しむ中にも切磋琢磨があって、お互い刺激し合える関係性が築ける、それって日常にはなかなかない経験です。大会では順位がついて、勝った負けたとか、タイム差に愕然とするとか、如実に結果を突きつけられて。よく頑張ったと思うこともあれば、次こそはと思ったり。そういう張り合いがあるからこそ、人生がさらに楽しくなるんだと思います。あとはトレーニングをしなきゃいけないので、より逆算志向が強まり、余計なことをしなくなりました。次の日朝スイムがあるので不要な飲み会は断ろうとか、生活にメリハリが出て健康的になりましたね。

仕事、家族、趣味の
すべてを充実させる

― 社員、家族からの反応は?

社員も家族もみんな応援してくれています。挑戦したり、努力する姿がかっこいいと思ってくれているみたいですね。私は、社員にもメリハリつけて楽しんでほしいので、そうなると私が1番楽しまないと社員も楽しめないだろうと思っています。その甲斐あってか、社員も1週間くらい休暇を取ってプライベートの時間を楽しんでいますよ。ベストボディジャパンに出場したり、フルマラソンに出たり、定期的に海外旅行に行くとか、ダイビングをする人もいる。オンオフのメリハリがあるからこそ、日々の仕事がきちんとできる、すごく良い循環です。また、仕事と同じように、いつも支えてくれている家族の時間も大切にしていて、1年のうち6回は家族旅行に行くと決め、実際に行っています。
*日本最大のボディビルコンテスト

― トレーニング時間確保のために工夫していることはありますか?

日々のトレーニングは早朝の時間を使って、1日2種目やるようにしています。週末は朝5時くらいから9時くらいまでにすべて終えるようにして、それ以降は家族の時間ですね。ただ最近は子供が大きくなり、友達同士で子供だけで遊びに行くことも増えたので、今までよりも練習量が確保できるようになりました。土日は基本的に家族と過ごすので、あまり練習会や合宿には行けないんですが、工夫次第で練習時間の確保はいくらでもできると思っています。

― 池畑さんの今後の目標を教えてください

トライアスロンでは、今後1~2年の間に年代別優勝するのが目標です。来年はIRONMANレースにもチャレンジしたいと思っています。もちろん、やるからにはKONAを目指すという思いもありますね。漠然とですが、IRONMANレースでサブ10というのが目標ですね。仕事の面では、5年後ぐらいには次のステージにいきたいと考えています。私たちの取り組みに対する社会的知名度を上げ、そして今よりもっと、施設を必要としている子供たちがいることを知ってもらいたい。そのためにはさらなる成長が必要不可欠だと思っています。
*ハワイ島コナで開催されるIRONMAN World Championship

【商品Pick up】UTA SUPLI を飲みはじめて―

シンプルに、“疲れない身体を手に入れた”という感じがしています。これだけトレーニングをずっとしていても、疲れが残らないんですよね。私は基本1日1食で、それ以外は補助食品なんですけど、以前は疲労感が抜けなかったんです。でも今はまったく、疲労感はほぼ感じないですね。あと特に、2日酔いにはびっくりするぐらい効きます。本当に2日酔いしないので、お酒を飲むときは妻もUTAサプリを飲んでいるくらいです(笑)。どんなに夜遅くまでお酒を飲んでも朝きっちり始められるので、本当に助かっています。

池畑 健太

私のタイムスケジュール

スケジュール
スケジュール

私の記録

2023年 エイジグループナショナルチャンピオンシップ(トライアスロン日本選手権)出場
サンポート高松トライアスロン 年代別5位
IRONMAN70.3 JAPAN  年代別9位
2022年 エイジグループナショナルチャンピオンシップ(トライアスロン日本選手権)出場
2021年 石垣島トライアスロン完走