星秀明

近所のパパ友から誘われて始めた
トライアスロン

― 昔からトライアスロンをやっていたのですか?

いえ、トライアスロンを始めたのは35歳ぐらいの時ですね。それまではサーフィンばかりでした。18歳からサーフィンを始めて、夏も冬も関係なく毎週のように海に通っていました。結婚して子供が生まれてからもずっとです。
ちなみに、学生時代は“ほぼ”帰宅部でしたよ。中学校の時は、何かしらの部活に入らないといけなかったので、やむなく卓球部に入りましたが、あまり馴染めず結構早い段階で辞めちゃいました。だから、“幼少の頃から水泳をやっていた”とか“学生時代にマラソンや駅伝が得意だった”などというエピソードはあまり持っていないです。むしろ、中学高校時代は校内マラソン大会でズルするタイプでしたね(笑)。

― トライアスロンを始めるまでの経緯は?

トライアスロンを始める2年程前、とあるきっかけでハーフマラソンにチャレンジしたんです。何の気無しに妻が持って帰ってきた、近所で開催されるハーフマラソン大会のパンフレットを見たのがきっかけでした。もともと、妻が走るつもりで持って帰ってきたらしいのですが、妻よりも私のほうが興味を持ってしまって、おもしろそうだったのでエントリーしちゃったんです。でも、それまではサーフィンとスケボーしかやっていなかったので、当然ランニングシューズも持っていなかったですし、そもそも1kmすらまともに走ったことのない状態からのチャレンジでした。ユニクロの短パンとTシャツで走った初めてのハーフマラソンは無事完走でき、それで走る楽しさを知ったんです。それからはサーフィンをやりながら、楽しむ程度にハーフマラソンを続けていたのですが、そんな時トライアスロンをされているという娘の同級生のお父さんと仲良くなり、その方に誘われたのがトライアスロンを始めたきっかけです。もちろん、当時はロードバイクも持っていなかったので、始めたばかりの頃は、その方の奥様からロードバイクをお借りしてやっていました。
ちなみに、ハーフマラソンにチャレンジするきっかけとなったパンフレットを持ち帰ってきた妻ですが、当の本人は結局走りませんでした(笑)。でも、今思えば、あのパンフレットが人生の転機になったので、妻には本当に感謝していますね。

キッズ&ジュニアの大会がデビュー戦

― 初めてのレースは?

私、こう見えて石橋を叩いて渡るタイプなんですよ。なので、《トライアスロンをやる!》と決めてすぐにトライアスロンデビューした訳じゃないんです。最初に出たのは、成田キッズ&ジュニアトライアスロン大会に参加する子供たちの父兄を対象にしたアクアスロンレースでした。キッズ&ジュニアがメインの大会で、娘たちと一緒にデビューしました。私はアクアスロンでしたが(笑)。その次は、千葉市海浜アクアスロンで、トライアスロンデビューはその後ですね。しかも、最初は距離が短いスプリントレース * ばかり。トライアスロンをされている方の多くは、早い段階で51.5kmレース * でトライアスロンデビューされますが、私はアクアスロン、スプリントレースを経て地道に経験を積んでから51.5kmデビューしました。それは《トライアスロンをやる!》と決めてから2年後のことでした。最初の頃は、アクアスロンもトライアスロンも恐怖を感じながらやっていました。特にスイム。サーフィンをやっていたからといって泳ぎが得意な訳ではなかったので、レースの前はいつもドキドキでした。でも、その恐怖心がアドレナリンとなり自分自身を突き動かしている感覚が好きで、それでトライアスロンにどんどんハマっていきました。
* スプリントレース:Swim:0.75km、Bike:20km、Run:5km
* 51.5kmレース:Swim:1.5km,Bike:40km,Run:10km(Olympic Distance)

総合入賞したことで本気モードに!

― トライアスロンを始めた頃のトレーニング内容は?

トライアスロンを始めたばかりの頃は、大したトレーニングはやっていませんでしたよ。それこそ“ハァハァゼーゼー”するようなストイックなトレーニングなんて全然です。そもそもロードバイクに乗ったこともなかったので、トレーニングというよりも、転ばないようなコーナリングやギアの変速など、ロードバイクに慣れる基礎練習ばかりしていましたね。スイムとランも平日の空いた時間にやる程度でした。この頃はサーフィンも続けていたので、日曜日の早朝に海へ行き、その後に自宅周辺でトレーニングするというような程度でしたね。

― 本格的にトライアスロンと向き合うことになったきっかけは?

真剣に向き合うようになったのは、トライアスロンを始めて3年目に走った東京都トライアスロン渡良瀬大会で総合入賞してからです。それで“スイッチ”が入った感じですね。
私は、幼少期の頃から勉強や運動など何でもそつなくこなすタイプでしたが、決して1番2番にはなれず、褒められた記憶や経験があまりありませんでした。でも、トライアスロンで入賞したら周りの人が褒めてくれて、そして期待してくれます。渡良瀬大会で総合入賞してからは、《元帰宅部の俺でも出来るぞ!》と本気モードになり、どんどんトレーニング強度も上がっていきましたね。
2013~2014年シーズンはJTUエイジランキングトップを目指し、ポイント対象大会となる51.5kmレースに出るため全国行脚をしていました。ランキング上位の選手の顔ぶれはいつも一緒で、勝ったり負けたりとお互いに切磋琢磨していましたね。2014年シーズンは惜しくもトップに届かず年間ランキング3位で終わりました。そこで51.5kmレースには区切りをつけ主戦場をロングレース * へと移し、目標をIRONMAN World Championship * 出場に切り替えました。
* ロングレース:Swim:3.8km、Bike:180km、Run:42.1km
* IRONMAN World Championship:毎年10月にハワイ島コナで開催される世界選手権大会

IRONMANチャレンジは苦難の連続

― 初めてのIRONMANはどうでしたか?

IRONMANデビューはマレーシア * でした。トライアスロン仲間からも『星さんの実力ならKONAスロット * を狙えるよ!』と言われていたので、その気になって表彰台を目指しました。しかし、結果は不完全燃焼。ロングレースに慣れていなかったので、“潰れる”ことを恐れ、終始抑え気味のレース展開となってしまいました。特に最後のランでは、マレーシアの暑さもあってタラタラ走ってしまい、沿道で応援していた妻から『こんなところまで金かけて何しに来たんだよ!!』って罵倒される始末。もちろん完走はしましたが、ほろ苦いデビュー戦でしたね(笑)。
* IRONMAN Langkawi
* KONAスロット:IRONMAN World Championshipへの出場権

― DNF * も経験されたことがあると聞きました

そうなんですよ。IRONMANレース2戦目の台湾でやってしまいました。トラディションバッグの入れ間違いを。バイクギアの袋にランギアを入れ、ランギアの袋にバイクギアを入れてしまっていたんです。調子が良かったスイムから気持ちよく上がってきて、自分の袋を取って開けたら、《あれ?ランシューズが入ってる??これ、自分のじゃない》って、一度袋を閉じたんです。頭の中は?マークだらけ。でももう一度袋を確認すると、自分のゼッケン番号が・・・。だんだんと興奮が冷め、《やっちまった!!》という現実を理解しました。ヘルメットが無いので、当然その時点でDNF。台湾最南端の地で呆然としました。ちなみに、その時も家族と一緒に行っていましたが、妻からの罵倒はなかったですね。私自身が“この世の終わり”であるかのように凄まじく落ち込んでいて、声すらかけられる雰囲気ではなかったそうです。人間って本当に落ち込んでいる人には怒れないもんなんですね(笑)。
* DNF:Do Not Finish

念願のKONAスロット獲得は
2度目のマレーシア

― 2019年にIRONMAN Langkawiで年代別優勝されましたね

マレーシアでのデビュー戦は不完全燃焼、その半年後の台湾では人生初のDNF、とIRONMANチャレンジは苦難の連続でした。台湾の後にIRONMAN Japan * にエントリーしようとしたら、さすがに妻からダメ出しされました。頭冷やせと(笑)。そこで、初心に立ち返り着実に経験を積んでからもう一度IRONMANにチャレンジしようと決意し、2015~2018年の4年間は宮古島と佐渡を中心に国内のロングレースで腕磨きをし続けました。その後、2019年にIRONMAN Cairnsで再び海外レースの感覚を取り戻し、その年の11月に開催されたIRONMAN Langkawiで年代別優勝し、念願のKONAスロットを獲得することができました。
* IRONMAN Japan:2013年~2015年にかけて北海道・洞爺湖にて開催

― 念願のKONAスロットを獲得した時はどんな想いでしたか?

《ホッとした》というのが正直な感想ですね。
IRONMANデビュー戦の時から周囲からはKONAスロットの獲得を有望視されていましたし、私も自分自身に対して期待していました。でも、思うように結果を残せなかった。だからこそ、2度目のマレーシアでは《もう失敗はできない》という想いで走りました。本来の実力を出せれば表彰台は確実に狙えるという自信があったので、とにかく“安定したレース展開”だけを考えていました。だから、何ごともなく無事にゴールできた時はとても安心しました。表彰台に登った時は、“長い間探していた落とし物がようやく見つかった”というような感覚でしたね。

人生を変えたトライアスロン

― 仕事とトレーニングのバランスは?

私は建設設備業、いわゆる水道配管工事関係の仕事を一人でやっています。20代後半で独立し、それからはずっと自営業です。仕事は基本的に17時ぐらいには終わるので、トレーニングは仕事の後に週6日でやっています。それに加えて朝スイムも週4日行っています。よく“仕事あってこそのトライアスロン”と言われますが、私の場合は“トライアスロンあってこその仕事”という感じで、トライアスロンが仕事の原動力になっていますね。“人生一度きり”だと思っているので、仕事とトライアスロン、そして家庭のバランスも大事にしています。

― 星さんにとってトライアスロンとは?

ちょっと極端な言い方かもしれませんが、“トライアスロンが私のアイデンティティそのもの”です。トライアスロンが私自身を人間的に大きく成長させ、そして人生を豊かにしてくれました。私はトライアスロンを始めてから探究心というものが強くなりましたね。トライアスロンをやる前は、多くのことを“ただ何となく”やってしまうことが多かったのですが、それがまるっきり変わりましたね。それこそ、1日24時間の使い方からレースで勝つためのトレーニングメニューまで、全てを自分自身で深く考えるようになりました。“ただ何となくの人生”がトライアスロンによって、やること全ての意味を考えるような“濃密な人生”に変わりましたね。

スポーツを通して
人生の素晴らしさを伝えたい

― 将来の展望を教えて下さい

今の30代40代の方って、学生時代を経て就職した後は仕事一辺倒になってしまって、ポッカリと心に穴が空いちゃっている方たちが結構いると思うんです。ある程度の年齢になって仕事も趣味も中途半端で“生きる目標”や“人生の楽しさ”を忘れかけている方たちに、スポーツを通して人生の素晴らしさを伝えたいと思っています。“ただ飯食ってお金稼いで生活することが全てじゃない”、私がトライアスロンを通して知った人生の素晴らしさを何かしらの形で伝えるような活動ができればと思っています。

【商品Pick up】UTA SUPLIを飲みはじめて―

私は23時過ぎに就寝し、4時半頃に起きて週4の朝スイムに通っています。それに加えて、日中は仕事、その後はトレーニングと毎日一日中ずっと身体を動かしています。UTA SUPLIを摂取する前は毎日が寝不足気味で、特に高強度トレーニングを行った翌朝などは疲労が抜けきれていないと感じることが多かったのですが、UTA SUPLIを摂取するようになってからは、それがかなり改善しましたね。朝の目覚めが間違いなく良くなり、朝が非常に楽になりました。UTA SUPLIの摂取によりトレーニングの質も向上しているので、今後のレースでのパフォーマンスに期待が持てるサプリメントですね。

星秀明

私のタイムスケジュール

スケジュール

私の記録

2019年 IRONMAN Langkawi 年代別優勝
佐渡国際トライアスロンAタイプ 総合4位
2018年 佐渡国際トライアスロンAタイプ 総合6位
全日本宮古島トライアスロン 総合15位 年代別優勝
2017年 トライスロン珠州大会 総合4位
全日本宮古島トライアスロン 総合22位 年代別3位
2016年 世界トライアスロンシリーズ横浜大会 総合8位 年代別2位
全日本宮古島トライアスロン 総合15位 年代別4位
フロストバイトハーフマラソン 総合11位/5053人(タイム1:13:36)
2015年 カーフマン太平洋いわきステージ 総合優勝
木更津トライアスロン 総合3位
東京都トライアスロン渡良瀬大会 総合優勝
2014年 館山わかしおトライアスロン 総合2位