昨年初めて IRONMAN 南北海道にチャレンジしました。それまでは東京パラリンピックの日本代表を目指してスプリントディスタンスのトライアスロンに取り組んでいたのですが、惜しくも代表には届かず、ロングディスタンスへの転向を決意しました。今回のレースがその最初の挑戦だったんです。ガイドは、元プロトライアスリートの方にお願いしました。レース当日はメンタルの不調からの回復期ではありましたが、このチャレンジを機にしっかり回復できたことを実感しましたね。
私の場合、タンデムバイクなので特に目立つ存在でしたし、そこが自分の見せ場だと考えていたんです。ガイドの方とも「バイクパートはトップでゴールしたいね」と話していて、その目標に向けてしっかり準備してきました。実際、巡航速度は 35~36km/h を維持でき、手応えのある走りができましたね。海外の選手の中には 5時間を切ってくるような人もいて、「さすがにそこまでは難しいかな」と思いつつも、自分たちなりにベストを尽くし、最終的には 12時間20分で完走することができました。
現在の大きな目標は、視覚障害者の IRONMAN レースにおけるギネス記録「11時間3分」を更新することです。この挑戦はガイドの方とも共有していて、2027年にチャレンジしようと計画しています。具体的なレースはまだ決まっていませんが、その日に向けて日々トレーニングを積んでいるところです。昨年の IRONMAN レースでは、ランパートの後半 20km をほとんど歩いてしまったんです。それがなければ、ギネス記録に近いタイムが出せたのではないかという思いもあり、このチャレンジを決めました。
私がこのような挑戦を続けることで、同じようにハンディキャップを持つ方々のロールモデルになりたいという思いがあります。そして、少しでも勇気や希望を届けられたら嬉しいです。実際、SNS などで「勇気をもらった」「元気が出た」といった声をいただくこともあり、それが大きなモチベーションになっています。
私の視覚障害は後天性のもので、小学校2年生のときに病気が発病しました。黄斑変性症という、一般的には高齢者に多い病気なのですが、若くして発症してしまったんですね。症状としては、視力が徐々に低下し、視野の中心部分が欠けていくというものです。そのため学校の授業では、席が一番後ろから徐々に前に移っていき、最終的には一番前の席でも黒板の字が見えづらい状態になりました。中学校までは普通の学校に通っていましたが、高校からは視覚支援学校(盲学校)に進学し、拡大教科書などを使って勉強していましたね。
2023年に適応障害と診断されました。会社に行くとパニック発作が起き、手が震えたり、動悸がしたり、涙が止まらなくなったりして、休職することにしたんです。当時は鍼灸師として、企業内でマッサージの仕事をしていたんですけど、コロナ禍が明けて業務再開に伴う準備の忙しさや、当時携わっていたブラインドサッカーチームの運営における人間関係の悩みなど、さまざまなことが重なり、キャパシティを超えてしまったのだと思います。その影響で、2023年の IRONMAN70.3 東三河* は DNS(Did Not Start:スタートせず)となってしまいました。レースの1週間ほど前に発作が起きてしまったんです。その後1年半ほど休職して、治療とトレーニングを続けながら徐々に回復し、IRONMAN 南北海道に挑戦することができました。今振り返ると、あの休職期間は自分にとって必要な時間で、仕事もプライベートも抱え込みすぎていたことを見つめ直し、整理する良い機会になったと感じています。
* 渥美半島を舞台に開催。スイム 1.9km、バイク 90km、ラン 21km
もともとはマラソンをしていたのですが、次に何か新しいことに挑戦したいと考えていました。トライアスロンか登山かなと思っていたときに、たまたまテレビで宮古島トライアスロンのドキュメンタリー番組を見たんです。初めてトライアスロンに挑戦する方が特集されていて、「私もやってみたいな」と強く思ったのがきっかけでしたね。また、視覚障害者でトライアスロンをやっている人はあまりいないのではないかと思い、「人と違うことに挑戦したい」という私の気質とも合致しました。初めて出場したのは 2010年の昭和記念公園のスプリントトライアスロンです。流れるプールで泳ぐ大会でしたが、残念ながら熱中症で DNF という結果でした。そのときはまだ一人でチャレンジしていましたね。
トライアスロンを始めてから 8年間は、ガイドをつけずに一人で出場していました。また、その当時はブラインドサッカーの活動も並行して行っていました。ブラインドサッカーでは、ロービジョンフットサルの日本代表として海外遠征なども経験しましたね。その後、東京パラリンピックの開催が決まったことを機に、本格的にパラトライアスロンに取り組むことを決意して、2018年からガイドをつけて活動を始めたんです。もともとトライアスロンを始めたきっかけが宮古島トライアスロンだったのでロングへの思いはありましたが、パラリンピックという目標ができたことで、一度スプリントに集中することにしました。残念ながらパラリンピック出場は叶いませんでしたが、その経験を経て、本来の目標であったロングに戻ってきたという感じです。
適応障害による休職をきっかけに、約20年間続けてきた鍼灸師・マッサージ師の仕事から離れ、未経験だった事務職へと転職しました。現在の勤務先は、プロのトライアスロン選手も所属するメークス株式会社です。
実はメークスの社長もトライアスロン経験者で、IRONMAN レースを完走されたこともあります。あるとき、社長が「積極的に障害者雇用をしていきたい」と話していたのをガイドの方が耳にして、私に声をかけてくれたんです。この出会いには本当にご縁を感じています。
マッサージの仕事では、施術後に「ありがとう」と言っていただけることで、大きなやりがいを感じていました。ただ、企業内マッサージ師ということもあり、同じお客様を担当することが多く、自分の技術が本当に向上しているのか疑問を持つようになったんです。また、施術を受けるだけでなく、お客様ご自身にも回復に向けて主体的に取り組んでほしいという気持ちもありました。
そんな中で新しい仕事のお話をいただいて、正直なところ「自分を変えるチャンスだ」と思ったんです。通勤時間も大幅に短縮され、今はとても前向きな気持ちで新しい環境にチャレンジしています。社長がトライアスロンに理解があり、私の活動も応援してくださっていて、ありがたい気持ちでいっぱいです。
トライアスロンは、私にとって挑戦そのものであり、人との繋がりを深めてくれる大切なものです。視覚障害や適応障害など、さまざまな壁に直面してきましたが、トライアスロンという目標があることで、ポジティブに進むことができています。そして、ガイドの方をはじめ、サポートしてくれる仲間、応援してくれる家族、SNS などを通じて私の活動を見て勇気を得てくれる方々。そうした人たちの存在が、私が頑張る大きな力になっています。特に、同世代の方や同じように障害を持つ方々に、私の挑戦する姿をもって少しでも勇気や希望を与えることができれば、これ以上の喜びはありません。トライアスロンを通じて得られた一つ一つの繋がりに感謝し、これからも挑戦を続けていきたいです。
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UTA サプリを飲み始めて 1年ほどになりますが、とても良いと感じています。特に最近は、夜だけでなく朝にも飲むようにしているんです。朝飲むと、その日 1日の頑張り具合が違うように感じますね。夜飲んで翌朝スッキリするという効果ももちろん実感しているんですが、仕事へ行く前、朝食後に飲むと、仕事終わりの電車の中での疲労感が軽減されているように思います。今では朝飲むのがすっかりルーティンになっていますね。
2021年 | ASTCパラトライアスロンアジア選手権 PTⅣ(視覚障害クラス)5位 |
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2021年 | ワールドトライアスロンシリーズ横浜大会 パラ部門2位 |
2021年 | 千葉シティトライアスロン パラ部門優勝 |
2022年 | ワールドトライアスロンシリーズ横浜大会 パラ部門4位 |
2022年 | 手賀沼トライアスロン パラ部門3位 |
2022年 | 千葉シティトライアスロン パラ部門優勝 |
2023年 | 霞ヶ浦トライアスロンフェスタ 50代男子2位 |
2024年 | IRONMAN Japan みなみ北海道 完走 |